いつまで鬱で悩んでるの?

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いつまで鬱で悩んでるの?

自身の鬱体験と、鬱持ち引きこもりでも稼げるか?の挑戦日記

「4人に1人が本気で自殺したい」僕もその1人。〜鬱病の体験記〜


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鬱を闘病中のすみす♪です。

 

※この記事は非常に長く、暗い話なのであまり読むのをお勧めしません。読む際は、自己責任でお願いします。

 

 

この間こんなニュースがネットを駆け巡りました▼

 

「4人に1人が本気で自殺したいと考えたことがある」

 

というもの。

これは日本財団が統計を取ったもので、過去1年以内に「本気で自殺をしたいと考えたことがある」という日本人は、調査した4万人中1万人。

これは全体の25.4%で、この統計が正しければ実に日本人の4人に1人が「本気で自殺をしたい」と考えていることになる。

 

また、日本の自殺者数は年間に2万4000人ほど。

なんと、1日に65人が日本のどこかで自殺をしている計算になる。

そう考えると恐ろしく感じる。

 

そして僕が注目したのは若者、20代の自殺未遂の件数。

なんと1年間で18万人の20代が自殺未遂をしている。

 

20代の自殺未遂者が全体に占める割合は、日本人全体の34%にあたる。*1

20代の自殺未遂者は突出して多いのだ。

この数字は異様ではなかろうか。

 

そして僕は25歳。

ブログタイトルにも「鬱」という文字が入っている通り、鬱持ちとして自殺願望と向き合ってきたので、このニュースについての記事を書かずにはいられなかった。

 

後輩の話

僕の後輩は現在高校教師をしているのだがその後輩が言っていた。

 

「死にたいと相談してきたり、リストカットをしている生徒が最近多いんです。」

と。

 

なぜ日本の若者のはこんなにも自殺をしたくなってしまうのだろうか?

 

この記事では、僕が鬱になり、自殺したいと思うようになった経緯を書きたいと思う。

 

前置きがながくなったが、

他のサイトは様々な統計や取材をもとにこの統計についてさんざん言及しているので、僕は「一人の人間が鬱になり自殺願望を抱くまで」というなるべくリアルなストーリーをこの記事で書きたいと思う。

 

「4人に1人が本気で自殺したい」のうちの1人に入る僕が、子どもの時からどんな人生を送って「自殺したい」と感じるようになったのか、参考にしてほしい。

 

子どもの時は自殺とは正反対だった 

まず、僕は現在も鬱持ちだ。

発作のように苦しくなると、「自殺したい、消えたい」と本気で思うようになる。

まるで別人のように。

 

現在はだいぶ自殺したいと考えることは大幅に減ったが、つい最近までは365日、毎日必ず「自殺したい」と思う瞬間があった。

それが4年も続いた。

 

そんな僕は子どもの頃は鬱とは正反対の活発な子どもだった。

 

小学校の時は、僕は人生の全盛期を迎えていた、成績もオール5、スポーツもそこそこできるし、ピアノも弾けた、人前に立つことが好きで応援団長もした。モテた。

 

毎日が楽しくてしょうがなかった。

 

友達と何回かケンカをすることはあったけれど、すぐに仲直りをしていたので、そこまで悩みのタネにはならなかった。

 

中学生から心に影ができるようになる 

僕の人生に「自殺したい」という影が現れ始めたのは中学生の時からだ。

 

まず、中学生になると、当時厳しいことで有名なテニス部に入った。

テニス部なのに野球部と同じようにた坊主にするのだ。

顧問は鬼のような形相をした女の先生。

 

僕は1年生の時からその先生に見初められ、レギュラーとなった。

ここまでは小学校と同じく順調満帆そのものだった。

 

 

異変が現れ始めたのは中学校2年生にあがったくらいの時からだ。

 

僕は正直テニスをすることに飽きていた。

顧問の先生はいつも「全国大会を目指すぞ」と言っていて、僕も逆らうことはできないので心の中では「もう部活を辞めたい」と思いながらも、「全国大会を目指す本気で部活に打ち込む少年のフリ」をするようになっていた。

 

そういう心理は大会に良く出る。

全く勝てないし、正直本音では勝つことなんかどうでもいいのだ。

でも、表面的には「全国いきたいです!」と本気で勝ちたいという生徒を演じていた。

 

何かが崩壊する

その限界が来たのが新人戦の時。

試合中、自分が打った球が全く相手コートに入らなくなってしまった。打つ玉全てがアウトになってしまうのだ。

極度の緊張からだった。

 

僕は今いるこのコートの場所が、逃げることのできない地獄のように感じ、パニックにおちいった。

 

そこで僕は一言叫ぶ

 

「先生ボールが入りません!」

 

と。笑

 

この一件以来、僕は試合に勝てない人間、本番に弱い人間、レギュラーにふさわしくない人間だ。と自分で自分にレッテルを貼るようになっていく。今考えると、ここから僕の自己否定、自分の存在否定が始まった。

 

小学生の時の活発な少年の面影が、ここら辺から少しずつ無くなっていく。

 

あのボールが入らずパニックに陥った新人戦以来、部活にとどまらず、何か上手くいかないことがあると、「やっぱり自分はダメなんだ」と自己否定をするのがいつの間にか癖になっていた。

 

悪魔のウィニングイレブン事件

そんな僕も、自分の中に生じ始めた自己否定、コンプレックスを勉強へのエネルギーへと変え、無事に地域では有数の進学校へと進学する。

 

だがそこで、更に自分を否定するような、自分の存在を丸ごと否定するような事件が起こる。

 

まだ小学校の時の活発で「人前に立ちたい」というエネルギーがかすかに残っていた僕は、高校2年生の時にクラスの文化祭のリーダーに立候補した。

 

しかしリーダーになってからわかったのだが、その高2のクラスメイトたちは、どう見ても少し荒れていて、文化祭に協力するという雰囲気が全くなかった。

ここから悪魔のウィニングイレブン事件の序章が始まる。

 

今となってはすべては自己責任だし、自分からクラスのみんなを巻き込むくらいのリーダーになれれば良かったのだと思うのだが、ほとんど協力してくれないクラスメイトに対しての僕の口癖は

 

「こんなクソなクラスじゃ文化祭は絶対成功しない」

 

というもの。

 

完全にやる気が無くなってしまっていた僕だが、それでも地を這うようにして文化祭の準備を進めていった。

 

そして文化祭前日、あの事件が起こる。

僕はいつものように登校して、いよいよ翌日に迫った文化祭農業準備をしようと思っていたのだが、教室に入るとその光景に愕然とした。

 

「おい!お前下手だな!」

 

「お、お前やりやがったな!」

 

当時父が自営業で使っていたプロジェクターを文化祭で使おうと借り、一週間前から教室に入れておいたのだが、

なんとクラスの男子たちがそのプロジェクターを使い、壁を巨大スクリーンのようにし、ウィニングイレブン(サッカーゲーム)をしていたのだ。

 

あまりに非協力的、そして僕の予想を超える自己中なクラスの男子たちの光景を見て、僕の中で何かが崩壊した。

 

「もう無理だ。文化祭前日になってもこんなに非協力的なやつらと一緒になんかできない。俺の頑張りなんかこいつらはまったく気にしていないんだ。俺はもうこの場から消えたい。」

 

中学校の時のテニスの大会で自分のボールが入らない恐怖感と似ていた。パニック状態。

どこにも逃げられない、でもその場にいることは地獄にいるような感じ。

 

僕は教室にいられなくなり、文化祭前日にも関わらずトイレの個室に駆け込んだ。

 

そして母に電話をして、

 

「お母さん、もう無理だ。明日の文化祭絶対に上手くいかない、もう逃げ出したい...」

 

そう言って泣きながら電話をした。

もちろん母はしっかり話を聞いてくれていたが、

 

「大丈夫よ、なんとかなるから」

 

と言われた。その時は本音を言うと母に

 

「もう逃げ出していいのよ、あなたがそんなに頑張らなくていいのよ。」

 

と言って欲しかった。

逃げ出したかった。

 

でも、母に「大丈夫」と諭されたことによって僕の逃げ場は無くなり、

 

「あぁ俺の味方は一人としてこの世界にはいない、母でさえも。

俺は一人ぼっちなんだ。」

 

強烈にそう感じたのを覚えている。

この日から僕の中にある心の闇は更に大きくなり、自殺願望の芽が出始めた。

 

人も一切信用出来なくなり、表面的には普通を装っていながらも、決して誰に対しても心を開かない青年へと変わっていった。

 

このクラスメイトたちと京都に修学旅行にいったのだが、クラスの人間に完全に心を開けなくなっていた僕は、6人で班行動をする時一言もしゃべらずに後ろをひたすらついていくだけだったたことを覚えている。

 

この修学旅行の時、同じ班のクラスメイトも特に僕の様子を心配する感じもなく、ほかの5人で楽しくやっていた。周りの人が一切心配してくれない様子を見ながら僕は更に孤独感を強めたのを覚えている。

 

そのほかの記憶は、あまりに辛かったのか、一切覚えていない。

 

 

塾講自己否定事件

そんな高校で心の闇を更に大きくした僕だが、その闇を抱えながら、反骨精神で勉強にエネルギーを変え、勉強に打ち込んだ。

 

そのかいあってか、高校受験同様、大学受験も第一志望の大学に受かり、晴れて大学生になることが出来た。

 

高校からの忌まわしい人間関係を一掃できた僕は、気持ち新たに、新しい生活にワクワクしながら大学に入学した。

 

だが、僕の中の心の闇は大学でも更に広がりを見せることになる。

 

 

大学に入学して3ヶ月ほどは、同じ学科の人たちや、持ち前の人当たりがいい「雰囲気」を出すスキルを使って、いろんな人と仲良しな「フリ」をしていた。

 

「すみすは本当に顔が広くて知り合い多いよねぇ。」

 

とよく同期の女の子に言われた。

 

 

相当知り合いも増え、まさに大学生活を謳歌しているように見えた。

 

だが、大学入学して3ヶ月を超えたあたりから、僕の仮面の姿にボロが出始める。

 

同じ学科の友達2人と、ささいなことから喧嘩のようになってしまったのだ。

もちろん、すぐに仲直りをして元の友達の関係に戻ったのだが、僕にとってはこの出来事は忘れかけていた、でも心の中に必ず残っていた深い闇を思い出すキッカケとなる。

 

「あ、やっぱり僕は大学に入っても、あの高校と同じように人間関係が上手くいかないんだ」

 

はっきりとそう感じたのを今でも覚えている。

 

「今回は上手くいきそうだったのに。。。僕は大学でも人と上手くやれないのか、、、」

 

心の中でこうつぶやいたこともはっきり覚えている。

 

 

そこで高校時代の文化祭の一件以来のトラウマ、心の闇が再び噴出してきた僕は、自然により内向的に、高校の時より更に人に心を絶対に開かないようになってゆく。

 

もちろん、そんな様子だと大学生活は送れないので、あくまで心の中でだけ。

表面は、おちゃらけた、明るい大学生を演じていた。

この内面と外側の大きすぎるギャップも、僕ののちの自殺願望が生まれることに繋がったのだと思う。

 

 

大学でもまた限界が来る

そんな僕は大学入学と同時に塾講のバイトを始めた。

集団で授業をするものだ。

 

持ち前の明るいキャラを「演じる」スキルを使い、校舎の中でも人気講師となっていた。

ある時は生徒の好感度アンケートみたいなものでその校舎の校長を抜いたほどだ。

 

塾講も表面的には順風満帆に見えていただろうが、ここでも僕の心の闇は容赦しない。

 

 

塾講のバイトを始めて3年が経ってきたころ、僕はある悩みを抱えていた。

 

それは、生徒からの人気とは裏腹に、「本当の自分は全然生徒のためを思っていなくて、自分さえ良ければいい」、と感じてしまっていること。

 

外からの評価と自分の内面があまりに食い違ってきていたのだ。

大学生活と全く同じ現象がここでも起きている。

 

それに気付いた僕は、少しでも自分なりの「いい講師」になろうと授業の予習をしたり、受験の知識を蓄えたりした。

 

でも、

 

「やる気が起きない」。

 

 

いくらやろうと思っても集中力が全く続かず。

 

「なんで俺が生徒のためにこんなことしなきゃいけないんだ。俺は俺の好きなことをしていたいんだ」

 

という本音が出てきて授業の予習をしている手が止まる。

 

そんなモヤモヤを抱え続けて数ヶ月、ここでもまた限界が来て、僕の中の何かが崩壊する。

 

あまりの罪悪感と自己否定感に、家で一人自分の自分の足を思いっきり叩きながら、

 

「俺はダメなやつだ」

 

「自分のことしか考えられない俺は人として価値のない人間なんだ」

 

とぶつぶつつぶやきながら自分のふとももを思いっきり叩く。

 

 

「きっとクソみたいな自分なんかいなくなってしまった方が周りのためなんだ。」

 

この瞬間、この記事のテーマでもある自殺願望が自分でもわかるくらいはっきりと芽生えた。

 

「あ、自分は死んだ方がいい、死ぬべき人間なのだ。」

と。

 

この時僕は21歳。

以降4年間、25歳になるまでほぼ毎日、自殺願望にさいなまれることになる。

 

実に1460日だ。

その時間を毎日「自殺したい」と思いながら過ごした。

 

首吊り自殺が自分には合っていると考え、お風呂場の電気が重さに耐えれるほど丈夫だとわかったので、そこで革のベルトで首吊り自殺をしようと毎日考えていた。

 

駅のホームで電車を待つたび、

 

「飛び込みたい、飛び込んだらどうなるのだろう」

 

と4年間、1460日思い続けてきた。

 

 

「自殺したい」は構ってちゃんなのか?

よく「自殺したい」というと、あまり周りが本気に扱ってくれない感じがある。

 

僕もそうで、最初母に自殺願望があることを打ち明けた時、

 

「疲れてるだけなんじゃないの?」

 

と一言言われて終わりってしまったことがある。

僕はその時すでに、この自分の中に芽生えた心の闇は、もう自分一人では対処しきれないと感じていたので、

晩御飯のたびに母に中学校の部活は本当は辞めたくてしょうがなかったこと、高校は文化祭以来地獄のようだったこと、大学生活も今ひとつ楽しみきれていないことなどを毎日のように話していった。

 

そこまで話して初めて、

 

「あぁ、あんた、そういう風に感じていたのね。全然気付かなかったわ」

 

と言われ、やっと理解された。

悩みを人と共有することにより、「孤独感」が少し癒え、安心したのを覚えている。

 

今の日本は自殺大国と言われているが、まだまだ自殺願望や鬱病に対しての世間の認知が甘いと僕は感じる。

 

周りの人は、どうしても

「まぁ自殺はしないっしょ。自殺したいしたい詐欺っしょ。構ってちゃんでしょ。」

などとうしても思ってしまう。

 

また、鬱なのか、ただの甘えなのか、そこらへんの線引きも非常に曖昧だ。

病んで鬱になると、優しい人も沢山いたが、相談すると「それはただの甘えだ」という人もいた。

 

人は鬱になるとどうなるのか?

僕は自分が鬱になってわかったが、鬱になると料理のメニューが選べなくなる

自分が何が好きなのか?どうしたいのか?全くわからなくなるのだ。

 

そして、一日中締め付けられるような思考の暴走に唸るように苦しめられる。

 

鬱が酷かった時は、これも自己責任だと思い、 鬱になっている自分すら責める始末だった。

 

今、鬱が回復してきてやっとわかる。

 

鬱の状態は異常だ。

 

そしてきちんとした病気だ。と

 

そう思う。

それくらい鬱という状態は異常で、正常な判断が出来なくなると今ならわかる。

 

東大卒電通新入社員の自殺 

最近ニュースで話題になった東大卒の電通社員の高橋まつりさん。

彼女は激務と職場のパワハラとも取れる雰囲気の中で、僕と同じように自己否定をし始め、最終的には投身自殺をしてしまった。

 

「なぜ会社を辞めなかった?」

 

と疑問に思う人もいるだろう。

 

でも、鬱を経験した自分から言わせると、鬱の状態になるとその場から逃げ出すことが出来なくなる。

 

僕が中学校の部活を辞めれなかったように、

クラスの文化祭のリーダーも辞めれなかったように、

塾講も辞めれず3年間も続けたように、

 

「逃げる」という選択肢は鬱病の人には無くなるのだ。

だから最終的にこの世界から逃げ出す=自殺

ということしか考えれなくなる。

 

やはり異常な状態なのだ。

 

一度自殺したいと思い始めると、不思議なことに小さなことがどんどストレスに感じられてきて、

 

「もう死ななければ、僕はこの世からいなくならなけれはいけない」とすら本気で思う。

今考えると本当に異常な状態だなと思うが、当時は本気でそう思っている。

 

だから自分が自殺したいと思っていたり、周りの人に自殺したいと思いながら持っている人がいたら、「その状態は異常なんだよ」と、気付いて欲しい。(もしくは気づかせてあげて欲しい)

 

終わりに

という感じで、「4人に1人が本気で自殺したい」という統計から、その統計の4人に1人の方に入る人間が実際どのように鬱になり、自殺願望が芽生えるのかを細かく話した。

 

僕のような自殺願望が生まれるまでのストーリーは決して珍しくない。

冒頭にお話したように、実に18万人の「自殺未遂」をしたことがある若者がこのようなストーリーをそれぞれ持っている。

 

そして僕はまだまだ甘い方だと思っている。

世の中にはもっと辛く、苦しい経験をしたり、実際に自殺を図っている若者が沢山いる。

おそらく今日も日本のどこかで自殺を図った若者はいるだろう。

 

僕が「自殺したい」と思うようになった原因はいろいろとあるが、この記事ではあえてそこには触れず、この体験談だけを書くに留めておきたい。

僕がなぜ「自殺したいと思うようになったのか?」そこの深い考察は読者の方にそれぞれ任せたいと思います。 

 

この記事が、どこかの誰かに読まれ、少しでも鬱や自殺願望についての理解が広がると嬉しいです。

 

ここまで長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。